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六実駅前と東武野田線

❖ ここは、取り残された離島なのか?


ジム廃業から再開を目指して奮闘するブログ!

僕が子供のころ、東武野田線(現在の親しみを感じさせない名に改名された東武アーバン・パークライン)は、ロイヤル・ベージュにインターナショナル・オレンジのツートンカラー8000系8111Fの車両が運行していました。

六実は明治期に入植が計画された6番目の下総台地の開墾地の地名です。

開墾会社は明治2年に設立され、鎌ケ谷市初富から入植が始まりました。

以下は開墾順です。(入植の順番と縁起の良い文字を組み合わせた地名。

初富・二和・三咲・豊四季・五香 ・六実・七栄 ・八街・九美上 ・十倉・十余一・十余二・十余三。

六実駅前は、未だ開墾当時の明治・昭和の頃とほとんど変わり映えしない町並みのままになっています。

幾度も再開発計画が持ち上がり準備組合が設立され検討されてきましたが、全て保留・先送りとなりました。

僕自身も一時は会員となりましたが、途中で阿保らしくなり脱会することにしました。

市職員の何が何でも計画を進めようとする威圧的な態度、コンサルタントが一方的に捲し立て地権者の質問にはまともに答えない(答えられない)そんなやり取りには疑念以外の何物でもありませんでした。

僕が先陣を切り話を断ち切って、市側からしたら一番聞かれたくない質問をすると後日、市の職員がアポなしで4人でやってきてこう言い放ちました。

あのような発言を皆の前でされたら困る、今後は控えるように・・

僕は、皆の前だからこそ、そう言ったんですよ。今後もどんどん質問していきますから、皆の前でね。と返しました。

その後、恐喝とも思える発言や態度を取ってきたので、あまりにも筋書き通りの展開なので面白いなぁ~と思いイジっていくことにしました。

イジることで本音がどんどん出てくるのでイジり続けていきました。

あの時の恐喝めいた市職員の数々の発言は、今でも市側と何かあるとネタにしています。

再開発においては、一部の特権階級者とデベロッパーらによる結託した金づる問題は付き物です。

松戸市役所移転問題や新松戸駅前東側地区の再開発など、利権がらみのきな臭い異臭には反吐が出ます。

松戸市も世には出ていない様々な利権や汚職で腐敗しているのです。

再開発において、鼻息の荒い躍起になっている地元議員などがいたら要注意です。

良い人ぶって、自ら掲げたキャッチフレーズとは裏腹にデベロッパーと結託して地権者たちを養分にし私腹を肥やすことしか考えていない悪党もいるのです。

書類に実印を押させるまで、あの手この手と戦略を立てて捺印させた途端手のひら返しです。

周囲はどんどん開発が進んでいき目覚ましく発展していきます。

松戸市は毎年人口が増加し、もう少しで50万人を突破しようとしていますが、六実駅前だけは益々取り残されていきます。

六実駅にあった東武の車庫は隣駅に移転されたことにより、柏からの最終時間の終電が無くなり始発も無くなりました。

また、単線から全線複線になったことにより、柏⇔船橋間には特急ができて踏切は頻繁に遮断機が締まり更なる車の大渋滞となりました。これが最も大きな問題です。

両隣駅には特急が止まるが六実には止まらず、駅前にあったバス停も廃止され隣駅へと移転しました。

六実駅前は、昭和の頃とほとんど変わっていない、寧ろ活気がなくなり以前より不便で悪化する一方だ!と嘆く人をよく見かけます。

しかしながら、地権者側からすと大幅に財産が減歩され、携わった利権者側の養分となり再開発地獄になることは火を見るより明らかです。

結果からすると明治期に開墾された古い地区のほとんどが古くから住んでいた地元民たちの反対により立ち遅れた町並みになっているように見受けられます。

街の開発には様々な捉え方がありますが、個人的な見解から言えば、他と比べるなかれです。

他の地区がどんなに活性化したとしても嫉妬などは不要です。

ゴミの中から僅かな金目の物を拾って何とか生きている海外のスラム街に比べたら超天国です。

世の中がどんなに変わろうとも、それが必ずしも良いことにはなりません。

寧ろ、現代のようなどこか殺伐とした乾ききった時代よりも、昭和の頃の方が心が豊かであり遥かに幸せだったと感じる人は多いのではないでしょうか?

六実においては、昭和なままの廃れた駅前のこの辺鄙な風情を懐かしむべきであり〝これはこれで良し〟でよいのではないでしょうか。

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